和船の「帆」は、最初「むしろ」などを使用していました。藁を編んだむしろは、耐久性に乏しく、雨などで濡れると重くなり操作するのが大変でした。これは琵琶湖に限らず、海で使用されていた和船でも同じでした。しかし1785年、高砂の廻船問屋「松右衛門」によって考案された帆布によって、この問題がいっきに解決しました。以来、丸子船の帆も、この松右衛門の帆を採用して、動力船の時代まで長く使用されてきました。
 また帆柱は、船の全長と同じくらいの長さが一般的でした。丸くない四角い帆柱も、和船の特徴といえます。四角いほうが丸いよりも丈夫だといわれています。

「神與丸」の帆
実際は動力船であったため帆柱は取り外されていましたが
展示するにあたって、斜めに倒した状態ではありますが
当時の帆をそのまま使用しています。
「琵琶湖博物館の丸子船」の帆
展示場の都合で、短めの帆柱を取り付けていますが
船の傍らには12mの帆柱も展示されています。

松右衛門帆の拡大図(縁部分) 松右衛門帆の拡大図(接合部分)

工楽松右衛門(1748〜1813)
 高砂の漁師の長男として生れ、少年時代から創意工夫が得意で生涯を通じて多くの発明をし、日本の発展に大きな貢献をした人物です。廻船行を営んでいた彼は、「むしろ」や「綿布(縫い重ねたもの)」といった耐久性や操作性に問題のあった従来の帆布を、木綿の細糸をより合わせた太糸を使用して厚手の一枚布を織り上げる方法を考案しました。この新型帆は、軽くて扱い易く耐久性にも優れていたため瞬く間に全国に普及し、松右衛門の名を広く知らしめることとなりました。以来この帆布は
「松右衛門」「松右衛門帆」と呼ばれ、長い間日本の水運を支えてきました。
 松右衛門の帆布技術は、現代の
カンバスベルト生地などに「すだれ織り」として生き続けています。


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北淡海・丸子船の館
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