丸子船は下の写真を見てもわかるように、他の和船とは異なる独特の形状をしています。昔は「丸船・丸太船」と呼ばれており、恐らくその外観から付けられたニックネームのようなものだったのでしょう。
 古代、船は「丸太(丸木)船」でした。そして二つ割にした丸太を刳りぬいた「刳り船」になり、刳り舟に継ぎ木などを施した「半構造船」ができました。その後、骨組みと板による「構造船」へと進化して行きます。しかし、丸子船は半構造船の段階から独自の進化を遂げた、琵琶湖特有の船なのです。

当館に展示している丸子船「神與丸」
焼玉エンジンを搭載した動力船でした。
動力船には船を操作するための
「キャビン」が作られています。
西浅井町の県道・大浦〜菅浦線沿いに
屋外展示されている丸子船
「勢湖丸」

平成7年に建造され、草津市の
「琵琶湖博物館」に展示されている丸子船。

大津市堅田の船大工、松井三四郎さんの手によって
昭和初期当時そのままの技術で建造されました。
琵琶湖最後の現役丸子船として活躍した「金龍丸」
ディーゼルエンジンを搭載していました。

現在は売却され、大津において屋形船に改造して
平成15年秋より観光遊覧船として復活しています。
まるみ遊船さんのWEBサイトへ⇒
※写真は西浅井水運祭りのために、前の所有者である
湖北町尾上の山岡さんから借用した時の雄姿です。


 琵琶湖に船が浮かび始めたのは縄文時代のことだと言われています。もちろん、船と言っても丸太舟程度の原始的なものでしたが、湖畔に住む民族の進化に伴って、舟も進化を続け、現在の姿に至りました。中世より湖上の水運を支配する事は、その時代の覇者である者にとっては、大変重要な仕事でした。人や文化、産業、そして政治を支える「物」をスムーズに動かす事は、現在においても、欠くことのできない事業なのです。そうした背景の中で琵琶湖水運とともに、丸子船は繁栄を始めたのです。
 江戸時代中期頃、琵琶湖にはおよそ1400雙もの丸子船が往来していました。日本海・太平洋沿岸の海路が確立されておらず、また陸路も、牛や馬そして人力といったものに頼らざるを得ない状況にあって、比較的荒れにくい湖上の交通が発展したのは、至極当然のことでありました。水運についての詳しい情報は「琵琶湖水運の歴史」をご覧下さい。


[ BACK ]


北淡海・丸子船の館
〒529-0721 滋賀県長浜市西浅井町大浦582
Tel&Fax 0749-89-1130
Copyright 2003 nishiazai synthesis service co.ltd. All rights reserved
http://www.koti.jp/marco/
marco@koti.jp